久喜市は埼玉県の東部にあり、人口はおよそ15万5千人です。
都心までは約50kmの範囲に位置し、市全域は北東側を流れる利根川の沖積平野にあって平坦な地形となっています。
また、南西側には元荒川が流れています。

この市の歴史は合併してきた町村の数もあって非常に複雑なものとなっています。
久喜という地名が歴史に初めて登場したのは戦国時代の古河公方の足利政氏がこの地に隠居し、
甘棠院という寺院を構えたのが最初となります。
やがて戦国時代が終わり、江戸時代に入ると、この周辺は米津氏が支配する「久喜藩」が誕生することになります。
当時は日光街道や常陸、下総への交通の便に恵まれていたことから、職人や商人が多く住む地域として発展しました。
明治時代に入ると町村制が施行されるようになり、全国各地で数多くの町村同士で合併が行われました。
もちろんこの地も例外ではなく、久喜本町・久喜新町・上早見村の3つの町村が合併して原型となる久喜町となりました。
さらに戦後の昭和29年(1954)には太田村・江面村・清久村と合併してさらに規模を拡大することになります。
昭和46年(1971)には市制施行により久喜市となり、そして平成22年(2010)には鷺宮町・栗橋町・菖蒲町と合併し、
ようやく現在の姿となっていったのです。
そのため、その歴史の大元となった中心部の他にも、合併した町村もそれまで多くの共通点を持ちながらも、
独自の歴史を展開し続けてきたことになります。
今では220余年の伝統をもつ「提燈祭り・天王様」で知られています。
このお祭りは天明3年(1783)に発生した浅間山の大噴火による大被害を受けたことが、この提燈祭りが始まるきっかけとなりました。

長い歴史を持つ地域であるために、数多くの寺院が今も残されています。
また最近では石の武蔵家がおすすめしている久喜聖地公苑をはじめとした霊園墓地も市内・近在には作られています。
寺院・霊園墓地を探す場合、やはり家から寺院・霊園墓地までの移動距離が重要となります。
都心からのアクセスについては、主にJR宇都宮線や湘南新宿ライン、東武伊勢崎線が中心となります。
どちらもターミナル駅となる久喜駅を通るため、都心から市街地へのアクセスには特に困る要素はありません。
また、路線バスについても数々の路線バスや市内循環バスが通っていて便利です。
周辺地域への移動についてもこれらの路線バスやタクシーを利用することで、
快適に寺院・霊園墓地へのお墓参りを行うことが可能となります。

石の武蔵家では久喜市及びその周辺の霊園でお墓をお考えの皆様のために、優良墓地情報を提供しております。
石の武蔵家がおすすめする霊園墓地である久喜聖地公苑以外にも、
ホームページに記載されていない霊園墓地をご紹介することが可能ですので、
久喜市及びその周辺でお墓をお考えの皆様はどうぞお気軽にご相談下さい。

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