伊勢原市のお墓

伊勢原市は神奈川県のほぼ中央に位置する市です。人口はおよそ10万人。
南部は平塚市と、西部は秦野市と、そして北東部は厚木市とそれぞれ接しており、
市内の東西を東名高速道路や国道246号、そして小田急電鉄が走っています。
市域の総面積は55.52平方キロメートルで、そのうちのおよそ3分の1を山林原野が占め、
その恵まれた自然環境と温暖な気候から、県内はもとより広く関東一円の人々の憩いの地となっています。
また、丹沢大山国定公園の一角に位置するシンボル「大山」を頂点として、東部には豊かな平野部が広がり、
鈴川、善波川、日向川、歌川といった清流が大地を潤しています。
最近まで温州みかんの北限地で、首都圏の消費者にわたっています。

伊勢原市の始まりは明治21年(1888)に遡ります。当時町村制が交付され、
この地域に伊伊勢原町・大山町・高部屋(たかべや)村・比々多(ひびた)村・成瀬村・大田村・岡崎村といった複数の町や村が生まれました。
これらの町や村がやがて合併し、市制への原動力となっていきます。
時代は移り第2次世界大戦後、昭和29年(1954)に岡崎村以外の6町村が合併し、新しい伊勢原町として発足、
その後昭和31年(1956)にその岡崎村も分割し、それぞれ伊勢原町と平塚市に合併することになりました。
昭和40年台に入ると、交通の便利な首都圏にありながらも、
丹沢・大山山系特有の雄大な自然と温暖な気候という恵まれた環境を生かしたまちづくりが進められるようになりました。
伊勢原駅南口の開設や周辺の土地区画整理事業、伊勢原内陸工業団地の建設、伊勢原駅北口の中央通りの拡幅、あかね台、
つきみ野といった大規模な新興住宅地の造成などで急速に近代的な街へと成長、
そして昭和46年(1971)に市制施行されました。神奈川県内では15番目の市制施行となります。

近年までは伊勢原市産のみかんは「年明けからのみかん」として首都圏の消費者に親しまれておりました。
大山に連なる肥沃な山々の山腹で陽光をいっぱい浴びて栽培される、
この伊勢原産みかんを原料とするフルーツワインの「みかん里」が今では伊勢原市の特産品となっているのです。

そんな当市やその周辺地域にある寺院・霊園墓地でお墓を探す場合、重要となるのは家からお墓までの距離や交通手段です。
特に、公共交通機関を利用してお墓のある墓地までちゃんと移動できるのかについては非常に重要で、
自家用車などでお墓のある墓地まで移動できなくなった場合でも、公共交通機関を利用してお墓参りできるかどうかは、
この点にかかってくると言っても過言ではありません。
それでは当市の交通手段について調べてみると、鉄道交通についてはは新宿駅まで直通となる小田急電鉄小田原線が中心となります。
そのため、鉄道のみを利用した場合は、伊勢原駅か愛甲石田駅に行き先が限定されてしまいます。
そこで登場するのがバス交通です。どちらの駅も駅から市内を循環するための各種バス交通が整備されており、
これらを利用して市内を移動することで、市内にあるお墓まで移動するのに苦労することはないでしょう。

石の武蔵家では、当市及びその周辺地域にある寺院・霊園墓地でお墓をお考えの皆様のために、
石の武蔵家が自信を持ってご紹介できる優良墓地情報を提供しております。
当市でお墓をお考えの皆様は、どうぞお気軽にご相談下さい。

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